三国志(51)

若武者・姜維に策を見抜かれ、生まれて初めて敗北を味わった孔明は、姜維を味方につけようと動きだす。
天水城に夜襲をかけた孔明は、暗闇の中に姜維そっくりの兵士を登場させ、姜維を反逆者に仕立てあげる。
行き場を失った姜維は蜀に帰順し、孔明の後継者となった。
姜維の活躍もあり、勢いにのった蜀軍は祁山へと進出する。
蜀の猛追撃を受けて、魏の曹叡は追放した司馬懿仲達を呼び戻す。
大任を得た仲達は、再び蜀に寝返ろうとしていた孟達を速攻で討ち取った。
仲達が蜀の兵糧補給の要害、街亭に目をつけるが、孔明は万全の布陣をしいて対抗。
しかし街亭の守りについた馬謖は自らの才で功をとげようと、孔明の命に背いて山頂に陣を張ってしまう……。
馬謖の布陣の誤りにより、蜀軍は総退却を余儀なくされた。
漢中に引き揚げた孔明は涙をふるって馬謖を処分し、自らも丞相の位を辞した。
その頃、呉の孫権は呉蜀同盟を守り、偽りの投降者を送り魏に戦をしかけていた。
呉軍は石亭で魏軍を蹴散らし、大戦果をあげる。
これを知った孔明は、「後出師の表」を奉り、陳倉へ出陣した。
魏の築いた陳倉城に、蜀軍は苦戦を強いられていた。
姜維のたてた斜谷の作戦は、大勝するが肝心の曹真を討てずに終わる。
仲達は曹真に、蜀の欠陥をつく持久戦を展開するよう進言したが、孔明との戦で連戦連敗を重ねる曹真は、兵糧をエサに蜀軍を誘きだす策を決行する。
これを見抜いた孔明は、裏の裏をかいた策で魏軍を迎え撃つ。
建威を攻め取った孔明は、三たび祁山へ進出した。
対する魏では、仲達が大都督となり、孔明との直接対決に臨む。
孔明にことごとく策を読まれ、打撃を受けた仲達は、守りを固めて陣から出てこなくなった。
打つ手のなくなった孔明は退却すると見せかけ、魏軍の追撃を誘った。
仲達が動いたと知った孔明は、魏との決戦に備え、姜維らに策を授ける。
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